経済学のブログ記事

私は絵を描くことを生業としているものですから、
たとえばアマチュアが一生懸命、上手に描く絵と、
プロが時間内にコストを計算しながら描く絵の違いを知っています。

俗な言い方だと、お金になるかどうか、
ちょっと知的な言い回しをすると、外部(社会)と接続された作業であるかどうか、
ということだと思います。

需要もそうで、外部と接続されてはじめて、欲望や必要が需要と呼ばれるようになるわけで。

「生産/接続」「欲望/接続」
どこかで読んだことのあるキーワードだなぁ、と思ったら、
もしかすると「アンチ・オイディプス」ではないですか?

昔はピンとこなくて、途中で読むのを止めてしまいましたが、
今、読み直すと理解が深まりそうな予感がします。
本棚の奥の方から、ようやく見つけてきました。
副題が「資本主義と分裂症」

・・・なるほど。

まだ、多くを理解したわけではないのですが、
不完全情報、不完全市場を考えるときに、思い出す警告があります。

「ベルクソンの哲学」(法政大学出版局 宇波彰訳)という本で、
ジル・ドゥルーズが書いていた方法としての直観の規則です。

第一の規則
『問題そのもののなかで真偽の検証を行ない、にせの問題を否定し、問題のレベルにおいて真理と創造を調和させる。』

補足的規則
『にせの問題には二種類ある。一つは<存在しない問題>であって、それは関係項自体が<多>と<少>の混乱を含んでいることによって規定されている。もうひとつは、<提起のしかたの良くない問題>であり、これはその関係項がよくない分析をされている混合物を表象しているということによって規定されている。』

これだけ読んでもよく分かりませんが、続けて読むと、こういう文もあります。


『無秩序の観念のなかには、すでに秩序の観念があり、それに加えて秩序の否定とこの否定のモチーフがある・・(省略)・・。可能なものの観念の中には、実在的なものの観念よりも多くのものがある。<なぜなら、可能なものはいちど作られたイマージュを過去の中に投げ込む精神の行動を伴っている実在的なものにほかならないからである。』

「無秩序」を「不完全情報」、「秩序」を「完全情報」と置き換えて読んでみたら、その関係がわかると思います。不完全情報の観念の中には、すでに完全情報の観念があり、「不完全情報が完全情報の足りないもの」なのではなく、「完全情報の観念に上乗せされる形で不完全情報の観念がある」わけです。
(やっぱり読みづらいですね)

なぜそうなるのか。

不完全情報の方を常態として、完全情報をあり得ないものとしてしまうと、「神の見えざる手」から発展してきた経済学は、揺らいでしまうからなのでしょうか。

そこのところに注意して、経済学の本を読んでみたいと思います。

裏口経済学入門

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「需要」

購買者が予算を所与として商品購入に配分するときの、任意の商品に割り当てられた量のこと。
配分の契機の中に、心的活動(欲望等)をどの程度見るかは、学派によって違いがある。
また、割り当てられた量が確定するのは、市場の取引においてであるが、
未確定の可能性としての量も、同じく「需要」と呼ばれているという、定義の曖昧さがある。

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